時間の流れる速度
先週の同窓会で話題の中心は、時のたつ早さが若いころに比べて、3倍ぐらいに感じると誰かが言ったら全員がそうだという。時間の流れの速度に違いのありようはずはないのであるが、 なぜそう感じるのかで話題は沸騰した。つまり時はいつも同じ 速度で流れている川のようなものだが、その川のほとりを流れに沿って歩いていく人間の歩みの速度は、年とともに肉体的な老化からして段々遅くなっていき、遅くなっていく歩みの速度との差が、同じように歩いているつもりの人間にとっては、川の流れが速くなったような気がするのだということになった。しかしながらそれだけではあるまいと思う。最近私も気味が悪いほど、あっという間に一日が終わる。子供のころや、若いころは、見るもの聞くものが新鮮な経験である。ひとつひとつの経験に、驚きとか余韻とかが残る。
しかし今は、たいていのものは見あき聞きあきて感動もヘチマもない。似たようなことを繰り返して、日々を送るだけである。たまに新しい経験に出会っても、感動は短く、そしてすぐ忘れる。こうゆうものが兆候としてあるのに加えて、どうしても単調な生活が続くことに原因があるのではなかろうかと思う。
いまさらとは思うが、やっぱり一日を長く過ごせるような努力は必要であろう。そういえば、やりたいことがあって、それにもとずいて行動しているときは人間は元気状態である。わかりやすい話が子供は「時間」の存在を意識しない。最大限、今を熱中して過ごしているからである。現在は過去の延長線上にある。もし未来を今より充実して暮らしたいなら、生活の何かを常に変革し続ける態度が重要ではないだろうか。 残りがだんだん少なくなってくる人生だからこそ、積極的な人生とは「なすべきこと」の多さを歓迎することこそ重要であって、頭と体をフル回転する生き方を目指すことに決めようと思うことにする。