理想の家庭とは

 勘違いをしているとしか思えないのは、己の仕事上のキャリアを優先して仕事に没頭するあまり、子供はつくらない、つくっても一人でいいという女性たちが増えているのは、極めて深刻なことである。
日本の少子化は、民族消滅にも通じかねない危機的状況にあるというのに、その認識がまったく感じられないというのは一体どうしたことなのだろうか。 それが知識層の人たちに多いということが、いっそう問題を複雑にしている。
いかに重要な仕事を持っていようが、子供を生み、手塩にかけて育てる喜びに勝る仕事等あるまいに。
私達は、今こそ戦後の日本人が失い、忘れ去ってきた本来の原風景に思いをはせるときではないかと思う。 
先日の産経新聞に高校生の投書があった。 「親戚の農家のおばさんは、面白い話を聞かせてくれる。この前は、アスパラガスが5本くっついて生えてきてかわいかったと、写真を見せてくれた。 楽しそうに話すおばさんを見て、すてきだと思った。 農家は週休等ないし、安定した収入が得られるとも限らない。 だが、おばさんは、いつも幸せそうだ。 それは家族で農業をやっているからだと思う。 共働きの両親を持つ友達は、たまには家に居て欲しいと愚痴をこぼしていた。 家族で営む農家は、理想の家庭のあり方ではないだろうか」。 これが子供たちの凝縮した思いなのである。
いくらキャリアを積んでも、人間の営みなど一つどころを堂々めぐりしているに過ぎないのである。 火が原子力に代わり、狼煙が通信衛星に代わったからといって、どれほどの進歩や変化があったというのか。 子だくさんこそ日本が蘇る道なのである。

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教育に思う

 不況が20年ぐらい続いている。 ここ10年間は、政、官、財のみならず、国民までもが改革を叫んでいる。 みんなで改革イコール改善と勘違いしたまま改革フイーバーは政治、経済、社会から、国の礎ともいうべき教育にまで及んでいる。 優れた人材を育てなくてはならない教育で、憂慮すべきことだが小学生に英語やパソコンを教え、創造性や起業家精神を育み、生きる力ということでゆとり教育を実施するとしている。 
小学生の頃から英語やパソコンにうつつを抜かし、本を読まず、ゆとり教育で力を低下させた人間に、日本の将来を託せるとは思えない。 漢字が読めず九九もできない人間に、どんな創造性が期待できるのか極めて疑問だ。
初等教育は 「読み書きそろばん」 と、わが国の尊敬する先輩たちは寺子屋時代に確立した。 民族の知恵であり、明治に見事な近代化を成し遂げ、小さな島国を世界第二の経済大国にまで押し上げた。 その原動力は言わずもがな教育のお陰なのである。 
どうも、それが戦後おかしくなってきたようだ。日本の教育は戦後ずっと日本という国と、日本人という民族を解体させることに努力してきたのではないか、という思いが、最近ますます強くなってくるのを抑えることができない。 つまり「日本に悪しかれ」という願いを持った勢力が、日本の教育を動かしてきたのではないか。
そうゆう中、君が代の起立斉唱命令に従わなかった教師に、減給以上の重い処分を行う場合は慎重な考慮が必要だと、最高裁が判決で指摘をした。
私の知る限り、民主主義先進国ではこのような問題は起こらないし、起こりようがない。 それは国民が公の場で国旗に敬意を払い、国歌を斉唱するのは当たり前のことだからである。 国家は国民の生命、財産、幸福追求の権利を守るために存在するが、この国家と国民の間を実効あらしめる前提として、国民には国に誇りを持ち、国を盛り立てていく義務がある。 だから一般的にいって、国旗や国歌に敬意を払うのは当然なのである。 このことは個人がどのような政治信条を持っているかとは関係なく当てはまる。
オリンピックやサッカー等で国旗が掲揚され、国歌が流されたときに、そっぽを向くような国は存在しないのである。 
現在の日本の教育の最大の問題は、生徒が国家に誇りを持ち、社会と自分との関係を深く考える「徳育」がなくなり、学校が知識の詰め込みだけを行う場になってしまったことである。 教育の再点検が日本が立ち直る近道だと思う。

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日露戦争から108年がたつ

 昨年暮れテレビで「坂之上の雲」をみた。 今年は日露戦争開戦から108年がたつ。 一昨年友人たち数人と203高地を訪れたが、あの激戦が信じられないような平和な風景が広がっていた。 
日露戦争は、当時、世界最強の陸軍国だったロシアの南下政策を食い止めるために、明治の指導者が苦渋の決断をしての開戦だった。 ロシアに軍事力で圧倒的に劣る日本がなぜ勝てたのか。 いろいろな理由があると思うが、日英同盟の存在が大きかったのだと思う。 戦費の多くはロンドンで調達され、ロシアや国際情勢に関する情報もイギリスから入ってきた。
イギリスは日本の軍艦購入や回航も支援した。 ロシアから遠路日本海を目指したバルチック艦隊に便宜を図らないように、途中の国々に協力を要請したのもイギリスであった。 日露戦争は、イギリスをパートナーに選んだ日本外交戦略の勝利といっていいと思っている。
しかし、その後の第一次世界大戦で、日本はイギリスの同盟国として参戦したが、対英支援に極めて消極的だったようだ。 「嫌英」の論調が国内で幅を利かせてもいたようだ。
やがて、1923年に日英同盟関係は解消されてしまった。 第一次世界大戦中の日本に対するイギリス側の不信が、原因となったようだ。 
歴史に「IF]はないが、日英同盟関係が維持されていたならば、日本のその後は違っていたのではないかと思う。
民主党政権になって、普天間移転やTPP問題での対米関係が空回りしている。 今の対米関係の縺れはどう見ても日本側が、一方的に不信の種を撒き散らしているとしか思えない。
世界のリーダー国との、良好な関係を失うとどうなるか。 同じ過ちを繰り返してはならないという思いに駆られる。

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空気でものを言う

 もう数年前のことであるが割り箸を使うことは、森林を荒廃させる元凶だとして、散々マスコミがたたいた時代があった。 同じ頃、東南アジアのある国では、肝炎の感染を防ぐために、割り箸しか使わせない政策をとっていた。 割り箸は資源の無駄遣いにならないかという問いに対して、当時の政府高官からは、杉の木を立派に育てるためには、間伐が絶対必要条件で、その間伐した木を割り箸に使うことは、無駄ではなく資源の有効活用なのだという答えが返ってきた。
関係者の話によると、当時の日本のマスコミも国民も、森林保護のために間伐は必要だ、といくら声を大にしても誰も聞き入れなかったようだ。 日本人の、実質を見ずに空気でものを言う気質は、相当に始末が悪いということだ。 誰かが言っていたが、首相のKYは空気が読めないの略、国民のKYは空気しか読まないの略だそうだが、まさに至言である。
今回の日本の原発で、重大事故は起きないという「安全神話」は今のところ崩れたが、だからといって原発の安全確保が不可能であるかのような「危険神話」に陥り、「脱原発」に走るのは別の意味で危うい。 政府がIAEAに提出した報告書には、28項目の安全強化策が示された。 津波の想定規模の再検討や、非常電源の多重化、炉心冷却機能の確保などである。 
今、関係者の間で密かにささやかれている話がある。それは原発の電源が地下にあったために、津波で一気に水没してしまって、冷却機能が役に立たなかった。もし電源が高台にあったとしたら、今回の事故はおきなかったという話である。真偽の程は確かめようもないが、もし本当だとしたら、電源確保を万全にすればよいということになる。
そういえば女川原発は、電源が確保されていたので大事に至らなかったという話もあった。
案外簡単なところに安全弁があったのかもしれない。
いずれにしろ中国も、韓国も原発建設は今後も続く。もしこれらの国で事故が起きたら、放射性物質は間違いなく偏西風に乗って日本へやってくる。日本の原発だけを廃止にしても、どうにもならないのである。原発の安全性を確実にして原発を使い続ける。それが日本の英知を結集し、目指す道だろう。

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原発の安全と安心

 「安全」と「安心」という言葉はよく使われるが、その定義はあまり説明されない。 これを今回の原発事故に当てはめて自分流に解釈すると、「安全」とは科学技術上ここまで対応可能なら、あるいは、ここまでの基準を満たしているものなら「大丈夫」というものと考えて良いだろうと思う。 
「安心」は危険度〔リスク〕がゼロであって云いうるもので、多少でもリスクがある以上、国民個々で受け止め方に大きな差がある。 
よく「安全」と「安心」と云うが、これはまったく別の問題なのである。
日本はいま多くの先端科学技術の恩恵に浴する中で、国民生活が営まれている。 飛行機や自動車、高速鉄道など交通手段の高度化と多様化、携帯電話やインターネットなど通信手段の超便利化と低価格化。 生活やビジネスのインフラは、歴史上かってないほどの進化を遂げている。
 原発問題を考えると、核分裂反応をエネルギーとして利用する原発は、それ自体がリスク存在ではある。 そのリスクをうまくコントロールして、国民生活に豊かさをもたらすのが現代文明である。
今回の事故で、脱原発とか反原発とかいろいろな感情がある。 日本は、今、再度「坂の上」の雲を目指して、責任ある大国として力強く立ち直るのかどうか、という岐路に立たされていると云って過言ではあるまいと思う。
脱原発の世論は、科学を駆使し、自然の威力を克服することこそ人間の英知であるのに、原子力を持つことは悪なんだといった考え方をする人がいる。これは人間の英知を自ら否定していることになる。
事故を乗り越え、得た教訓を基に、世界の原発の安全管理に役立てることこそ、日本人に課せられた最大の責務ではないのか。  

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原発とは

脱原発の声が大きい。 しかしである。 人間の歴史はより便利なもの、より高度なものと工夫を重ね、荷車から自動車や新幹線や飛行機や宇宙開発へと進んだように、科学技術の進歩には限りがない。 そして人間は常にさらにその先を目指している。
原発とは近代技術の極地である。 近代技術は、どこかで人間の支配の領域を、超えてしまう場合が往々にしてある。 近代技術を支えるものは専門科学であるが、専門科学は常に一定の仮定のもとで、理論的な正解を出してくる。 ところが実際には、たいてい「想定外」のことが起きる。 というより、むしろ近代技術そのものが「想定外」を生み出してしまうのである。 そこで我々はひとつの逆説に直面する。 それは、近代技術はある「想定」をおかねば成立しないのだろうが、ほかならぬその技術そのものが「想定外」の事態を生み出してしまうということだ。 技術が高度化すればするほど「想定外」が、起きるリスクは高まるはずである。 我々はその途方もない危険を受け入れることによって、今日の豊かさを作り上げてきたということだ。 
原発の将来は、日本の将来の選択にかかってくる。 脱原発は脱経済成長路線を意味するし、日本の国際競争力を落とす。 そのことを覚悟しなければならないのであるが、脱原発論者は、そこをどう考えているのだろうか。
資源に乏しく、地震等の自然災害が多い中で、一億以上の人口を有し、高度な産業経済を運営するためには、エネルギーの安定供給を確保しなければならないという厳しい現実がある。 
この宿命を引き受けるなら、今なすべきことは脱原発ではなく、原発の安全の強化
であろう。

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東日本大震災は国家安全保障問題と捉えるべき

 今年を振り返ってみて、想定外の災害と多くの人は言うが、しかし反省すべきことは、東日本大震災対策で最大の失敗は、民主党の「政治主導」で官僚の意見を聞かなかったことが大きな間違いであったと思う。 何故なら 阪神・淡路大震災や、奥尻島の津波等、危機管理等でのノウハウを持っているのは官僚組織である。
行政の素人である政治家が、官僚を信頼せずに、その意見に耳を傾けようともしないで、事を解決しようとした結果が、さらに災害を甚大なものにしてしまった。人災といわれる所以である。
今回の東日本大震災は、国家安全保障の問題として捉えるべきだった
。 安全保障とは国民の生命と財産を守ることで、 どこかの国が攻めてきたというわけではないが、これだけ大規模に国民とその財産への侵害があったのだからそのように捉えるべきだ。 
「最悪の場合に備える」のが安全保障の基本だから、「想定外だった」などと安易に規定するのは、基本的な考え方に大きな欠陥があったということになる。 9・11以後アメリカは原発を総点検し、2次電源を建屋内に入れたり、天井部分を改修したりした。
日本が国をあげて、それをやっていたかというとそうではなかった。
どの国もそうだが、自国の安全を自国だけで確保できる時代ではなくなった。 どこかの国となんらかの協力関係が必要で、わが国にとってアメリカはその最適な相手だと思う。
その理由は
第一に、最強の軍事・経済大国と仲良くできれば、それがベストであることは云うまでもないことである。 
第二に、価値や利益体系を共有していることである。
第三に、他の大国に比べ基本的な言行が一致している。
民主主義も独裁体制も政治のつけは結局、国民が払わなくてはならない。 「政治主導」は国民に混乱と停滞しかもたらさなかった。
原発事故と大震災を契機に、政治家も官僚もそれぞれの責任において、国民のための仕事をするという原点に戻ってもらいたい。

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庭の山茶花〔CO2対策〕

 家の東隣との境界ぎわに、結構入念に手入れされた山茶花がある。 そばに樹齢150年は超えると思われるひばの大木があって、山茶花はそれに比べると幅はさほどではないが、木の頂はすぐそばの塀をはるかに抜いて、枝の先は明るい空までのびている。
その枝頭にも花が咲いている。 木の周りの湿った地面に夥しい白い花びらが散っている。 そして木は、まだたくさんの蕾みをつけている。
寒くなるのを待っていたように咲き始めた花は、ひらききるやいなや、すぐに散り始めるものらしい。 そういったことに、別に今日はじめて気づいたわけではない。 塀ぎわの山茶花は、書斎からまっすぐ見える場所にあって、部屋に出入りするたびに目に付いた。 花は白である。 晴れた日はさほど目に付かない。むしろ貧しげな花だが、早朝などは、花がある一画だけが、ほのかな明るみに包まれて、あ、山茶花が咲いているなと思わせるのである。 
冬ざれの今、唯一青々とした葉を茂らせているのは山茶花だけである。
これから電力需要が高まる冬を迎える。 冬は夜が長いために照明時間も長くなり、給湯、暖房もと続く。2009年度の家庭部門のCO2排出量は、1990年度比で26、9%増加している。 しかも夏季はエアコンによる冷房が主だが、冬季の暖房はエアコンに加え、電機、灯油、ガス等のストーブやフアンヒーターなど多種多様である。どうしたってCO2の排出量は増えてしまう。 冬期は木々の葉も落ちる。CO2を吸収するのは山茶花ぐらいのものだ。
そういえば、CO2の吸収率の高い樹木の代表は杉だそうだ。 したがって成長の早い杉は、温暖化対策にもってこいの樹木である。 杉にとって最適な気温は、年平均15度ぐらいといわれている。CO2が増え、国内の平均気温があと1・2度上昇すると最適となり、より花粉を増やすことになるそうだ。一昨年のデーターによると、国民の26・5パーセントが杉花粉症の患者といわれている。 
杉山や林の手入れを怠っているのが、花粉増加の原因のひとつである。
快適な生活を確保するために、我々は庭木の手入れは勿論のこと、自然界の樹木の手入れを徹底的にやり、なお且つ、CO2発生を低くする燃料を心がける必要があるのではないだろうか。 市民に対してさまざまな動機付けをすることは、行政の重要な役目であろう。

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乃木希典の母親は土浦市出身

 目下NHKのテレビで「坂の上の雲」が放映されているが、主人公の一人である乃木希典の母親が、土浦出身であることはあまり知られていない。 母親の名前は寿子といい、土浦藩士長谷川金太夫の長女として文政11年に生まれた。 天保5年寿子7歳のとき、 土浦藩主土屋寅直の息女、欽子が長州藩主毛利元運の奥方として腰入れの際に付き添い、そのまま長州藩にいるうちに、長州藩士乃木希次の後妻となった。 乃木家は代々長府毛利家に仕えた医師の家柄で、希次は生来、武士の気風が強く、たまたま、深川三十三間堂の通し矢の技術が見事だったのが毛利公の目にとまり、お馬廻りに抜擢されたばかりか、世子元敏、次子平六郎の教育係を務めた。
希次と寿子との間には、4男2女があり希典は次男にあたる。 比較的裕福な生活を送っていたようだったが、安政5年、希次は思いがけなくも国勝手を命じられ、江戸屋敷から長府へ帰る事になる。生来の正義漢で歯に衣着せぬ言い方が、藩の重臣のカンに触れたためである。 それ以来の乃木家は貧困生活に落ち込んだ。
しかしながら、子弟の教育は厳しかったようだ。 「人学ばずと雖も、道を知れ、みめ形なれ、ふりはいらぬもの、心に錦、花を飾れよ」が乃木家の家訓であり、寿子は子供たちの教育に全力を尽くした。 その結果が、あの高潔な乃木希典の人格を形成したものであろうと思われる。
乃木寿子の墓は、大手町の東光寺にある。東光寺はかっての土浦城南門の内側すぐの場所地にある。 ミカゲ石の台座に鉄筋コンクリートのすっきりした六角形の霊堂である。 土浦の名所として宣伝するのも面白いと思う。・
それにしても、土浦藩主土屋公の居城であった土浦城跡は、ほとんど整備されることもなく、ほったらかしにされたままの状態だが、少し考えながら整備すれば、美しくもなり、そこを中心に、街は昔ながらの風情を取り戻すこともできよう。 とは云え、近年の非情ともいえる社会構造の変革は、郊外に次々と誕生する大型店舗へ人の流れを呼び込み、中心街ばかりかその周辺も閑古鳥が鳴くような寂れだ。 「坂の上の雲」に便乗して、乃木寿子の「故郷土浦」で、人を呼び込むことも一興であろう。

 

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歴史小説で街おこし

古くからの友人が三冊目の本を出版した。 もと新聞記者だけあってさすがに筆が立つ。 新聞記者出身の作家は司馬遼太郎をはじめ多い。 彼が二冊目に出版した本は、土浦の歴史がふんだんに出てくるので、街の宣伝に一役買っている。是非、大勢の市民にも購入してもらい、土浦出身の作家を育てたいものだ。
四冊目の出版予定は、「坂の上の雲」でテレビ放映されている乃木希典にまつわるものである。彼の調査によると、乃木希典の
母親はどうやら土浦市出身らしいので、なんとかものにして、まちおこしに寄与できればと思っているようだ。 是非応援したいと思う。
優れた歴史小説は、固定観念やイデオロギーを断ち切ってくれる。 石田三成がよくいわれるような、人望が薄く、ただの行政官僚に過ぎない人物だったとするならば、いくら豊臣の威光を背負っているとはいえ、徳川を上まわる軍勢を関が原に集められただろうか。 諸国の大名は「街道一の弓取り」といわれた250万石を擁する大名の成功報酬と、たかだか19万石の佐和山城の大名の成功報酬とのどちらを信用するかといえば、答えは明らかであろう。
史実とは、大方が成功したあとの政権によって書き残されたものに過ぎない。 優れた歴史小説は、作家の創造力によって、その史実の壁を打ち破り、新しい解釈を与えてくれる。
未来が読めないときこそ、過去に多くの教訓が隠されているということだ。 歴史は常にくりかえす。 現在の日本は、いささか色あせてはきているが、多くの国民はアメリカに経済戦争で勝っていると思っている。しかしながら、将来はTPPでやられるかもしれない。
日露戦争で勝ち、その後、昭和十年代までの海軍、陸軍のリーダー達は、世界の経済は東京中心で回っているといって憚らなかったことを忘れてはならない。
その頃の土浦市は、軍人たちによって活気に満ちていたようだ。 これからは、古い城下町の名残があり、いろいろな史実があり、それを掘り起こした歴史小説によって宣伝するというのも面白いと思う。 手段を選ばず活用できるものは何でも利用して、街おこしを考える必要を痛感する。

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