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ono on: 8月 24 2010 • Categorized in:
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連日、テレビ等で民主党の代表選が大騒ぎである。小沢氏は出るのか出ないのか。菅首相は代表選で勝って引き続き政権を担当できるのか。外野席から眺めていると、
これまでの民主党内の議論からうける印象は、非常に分かりにくい。
菅首相を支持する理由として多くの民主党議員からよく聞こえてくるのが、「一国の首相をころころ代えるのはよくない」と言う声である。確かに首相交代に伴う政治空白や、新旧首相間での政策の継続と言う点でも問題があるだろう。だが、これらの議論はあくまでも首相にふさわしい人物が首相だった場合と言う前提付きで成立する。
仮に、首相としての的確性を欠いた人物であるなら「ころころ」だろうが、「短期間」だろうが、さっさと代えた方が国家国民の利益にかなう。
鳩山前首相は、バラマキ政策と普天間基地と、出来もしないマニフエストで、国民の目を欺いた結果、政権運営に行き詰まり、自ら短期間で政権を投げ出した。鳩山前首相と言う人は、何の哲学もなく、世の中のゴミにも似た、影のような存在だったと思えてしかたがない。彼がいてもいなくても、または生きていても死んでも、世間は何の痛痒も感じない、そのような人だったと言うのが正直なところの印象である。短期間で辞めてもらって国家や国民はよかったと大歓迎したのである。
菅首相は参院選直前になってから消費税10%を発表した。この発言について、きちんとした党内手続きや野党との意思疎通を省いた「唐突な発言」として党内ばかりか野党からも袋ただきにされて、今は全く発言しなくなってしまった。参院選途中で「しまった」と思ったのか、あれこれと言い繕い「低所得層には還付する」などと言い出し、その金額も二百万、参百万、四百万と一日のうちにどんどん変っていった。要するに資質がないのは明瞭である。
小沢さんについては、カネまみれの政治家であり、そのような人が総理大臣になることは、世論は決して許さないと思う。6月に鳩山首相退陣と共に幹事長を辞したとき、世論の9割がこれに賛成したと言う事実を以ってしても、今さら論ずる必要も価値もない。
したがって、民主党に心ある人がいるのであれば、いつまでも鳩山、菅、小沢でもあるまい。この3人の名前には国民は聞き飽きてうんざりしているのである。
そういう中で、参院選で過去最高の百七十一万票で当選した事業仕分けで名を上げた蓮肪行政刷新担当相。本人は「タレント議員」と呼ばれることを嫌っているようだが、クラリオンガールから、お笑い番組、TBSのワイドショーの司会を経て、テレ朝のニュースキャスターとなった正真正銘の「タレント議員」である。事業仕分けの活躍で有名になったが、彼女の仕分け振りを見ていると、大向こうを意識するあまりか、無意味なツッコミ質問の羅列であり、その定番は「天下りは何人か」「報酬はいくらか」「役員は公募しているか」「効果を数値で説明して」など、重箱の隅をつつくものばかりである。あげくの果て「一番でなくては駄目ですか。なぜ二番では駄目なのですか」とか、某協会の会長が、「ご指摘有難い」と答えたところ「有難くないことしているんじゃないですか」と嫌味を言った。これらから察するに彼女はあまり性格はいいとはいえないだろうと想像する。要するに蓮肪氏は「ツッコミはうまいが、クリエイテブな思考が出来ず、突っ込んだ後は思考が停止している」様な気がする。その連肪氏が代表選で「首相が代わると総選挙が筋だ」として「総選挙になったら、時間的に特別会計の事業仕分けに大きな影響があるので、菅首相を支持したい」と発言していた。なんと事業仕分けが第一で、首相の人選は二の次。事業仕分けが円滑に進むなら、首相選びはどうでもいいという考えのようだ。背伸びしすぎて己のレベルを間違えてしまっているようだ。
そもそも事業仕分けをテレビで流し、傍聴人の力を借りた勢いで結論を急ぐやり方は、国家予算に対して冒涜していると言っても過言ではあるまい。哲学もなく、知識もない素人集団のような連中に事業仕分け等と、得意になった結果が、ノーベル賞受賞者から批判されたことを思い出してもらいたいものだ。下手をすると取り返しのつかない重大な過失が起きてしまいかねない。事業仕分けのような重要な問題こそ国会ですべきで、結果を予算へフイードバックすることや調査や資料の事前請求など国会で行うのが最適なのである。
民主党は場外乱闘〔事業仕分け〕せずに、リング〔国会審議〕に上るべきであろう。いずれにしろ民主党の代表選に目が離せない毎日が続く。
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ono on: 8月 4 2010 • Categorized in:
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大連、旅順、二百三高地と尋ねると、どうしても日露戦争の原因は、満州と朝鮮であると言う思いに駆られる。満州を取ったロシアが、やがて朝鮮を取る。日露戦争にもし日本が負けていれば、朝鮮はロシアの所有になっていたことは間違いない。それどころか、日本もロシア領になっていたであろう。遵って日本にとっては、どうしても負けられない一戦であったのがよく分かる。
日露戦争の激戦地として知られる旅順へ行く。旅順港、旅順駅、旅順関東軍司令部などをみて二百三高地へ。二百三高地は、急な坂道を歩いて5,6分も登ると頂上に到達する。旅順港は清朝の末、李鴻章がつくった北洋艦隊の根拠地であったが、日清戦争ののち、ロシアが中国から租借、大軍港と大要塞を建設し整備した。当時、ロシアの極東艦隊は、19万トンという大海上兵力でそのほとんどが旅順港にいた。日露戦争の勝敗を決する重要な戦いであった日本海海戦で、バルチック艦隊をたたくためには旅順港にいるロシアの極東艦隊を撃滅しておく必要がある。旅順港は要塞砲で厳重に固められており、日本艦隊はこの港に簡単に近ずくことが出来ない。そのために旅順港の後背地にある二百三高地を奪い、そこから大砲によってロシアの極東艦隊を全滅させる作戦を展開した。二百三高地と呼ばれるのを聞いてみると、何のことはない海抜203メートルと言うことだそうである。二百三高地から見る旅順港の眺望は素晴らしい。そのとき使用した28サンチ榴弾砲が飾られているが、なるほどここからの攻撃は、きわめて効果的であったろうと想像できる。「庭に一本棗の木」で知られる水師営の会見の歌があるが、樹齢百年以上といわれる「弾丸のあといちじるしい棗の木」が今もある。水師営会見所は、乃木将軍とロシアのステッセル将軍が会見した有名な場所で、水師営とは村の名であり、元は百姓屋であった。中は土間でひなびたテーブルがひとつあるだけである。この粗末なテーブルを囲んで、乃木将軍がステッセル将軍に帯剣を許して歴史的な会談が行われた。水師営会見所は痛みが激しく、修理する費用捻出のために、土産物を買えと言われ、乃木将軍が書いたと言う掛け軸を購入することにする。大和ホテルにしろ水師営にしろ、中国人の逞しい商魂に脱帽するしだいである。
乃木将軍の詩
山川草木転た荒涼 十里風なまぐさし新戦場 征馬前まず人語らず 金州城外斜陽に立つ
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ono on: 7月 30 2010 • Categorized in:
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先月末から今月のはじめにかけて、中国の大連市を訪ねる機会があった。歴史研究会の仲間七人との旅である。目的は日露戦争の痕跡を、この目で確かめて見てみたいという誘惑に駆られたと言うことである。大連市はかって、日本人が二十万人ぐらい住んでいたそうで、旧日本人街があり、戸建ての住宅が数多く残っている。中山通りや、中山公園もそのままである。安倍元総理の友人が河豚料理店を経営していてかなり繁盛しているらしい。驚いたのは上野駅の外観と寸分違わぬ大連駅舎や、築百年を超えて、尚、立派なたたずまいを誇る大和ホテル、元満鉄本社、等が当時のままの状態で今も使われている。大和ホテルは中曽根、竹下、村山氏など歴代総理が宿泊しており、その写真がホールに掲げられている。村山氏は両親が元満鉄本社に勤務していたと言う関係でここえ来るらしい。大和ホテルは改修計画があるとかで、目下資金難に悩んでおりせっかくなので白檀の置物を購入し協力をすることにした。本当かどうかは分からないが、大和ホテルの一室に、愛新覚羅溥儀の執務室があり、そこにあったものだという。満鉄の代表的な蒸気機関車である「アジア号」は、車輪の半径が二メートルという巨大なものである。「東洋のパリ」と呼ばれた文化都市・大連、建築技術の粋を凝らした乗り継ぎ駅・奉天、満鉄撮影所のあった映画の都・新京。それらを結んでいたのが満州鉄道である。「アジア号」は、今は保存されているだけだが、日本へ運んで徹底的に修理して、観光目的のために走らせたらどうかと言う提案をしてみた。
ここで我々は満州とはなんぞやという疑問にぶつかった。我々年代は、満州と言う言葉は耳にするが、その実態についてはほとんど知らない。調べてみると興味深い事実が分かってきた。この地域はアジア大陸の東部に位置していて、もともとは漢民族の領域ではなかった。紀元前から幾多の変遷を経て、やがて漢民族の版図になったり、離れたり、高句麗とくっ付いたりした。七世紀の末ごろ、南満州に本拠を置く渤海帝国が生まれ、平安時代の日本と国交をもったりした。その後モンゴル人の元帝国の支配下に入り、それに次ぐ明帝国となる。明が衰えると、女真族が明を滅ぼして清帝国を立て、その清が日本と日清戦争を起こして敗れる。やがて、ロシアが執拗に侵略をくりかえし、ついに満州を占領し居座ってしまった。当時のロシアは「満州を占領しただけでは何もならない。朝鮮も、この際取っておくべきだ」と言うのがニコライ二世の考え方だった。やがてロシアは朝鮮進出を始める。日本は、満州におけるロシアを認めるかわりに、朝鮮に手を出さないようにすることをロシアに要求した。ロシアはこれを無視し、朝鮮の軍事利用の禁止と三十九度以北の中立化を求めて兵力を満州南部に移動させた。結果満州を戦場として日露戦争が始まったと言うことのようである。日露戦争で思いもかけず大勝利した日本は、やがて国を挙げて満州経営に乗り出すことになり、多くの日本人が大陸に出てゆくことになる。 以下次号