閣僚の靖国参拝なし

八月十五日の終戦記念日に、民主党政権の菅内閣の全閣僚が靖国神社の参拝を見送った。自民党政権ではほぼ例年、現職閣僚のうち何人かが参拝していた。菅首相は就任直後に参院での代表質問に答えて「A級戦犯が合祀されている問題などから、首相や閣僚の公式参拝には問題がある」として、在任中の参拝を否定した。A級戦犯といわれている人たち〔連合国側が勝手に決めた〕を靖国に祀る法案に対して国会は、当時の社会党も含めて圧倒的大多数を持って賛成し、これを決めているにもかかわらずである。戦争というものは確かに良いことではないが、これは政治のひとつの変形、ないし延長線上にあるもので、国どうしが論争して結論が出ないために腕力で戦うことになり、それに勝ったほうが「俺のほうが正しい」と言い出すことになる。だから、本当の正義が勝者にあるかどうか、それは別問題である。A級戦犯は、勝った連合国側が勝者の理屈で勝手に決めただけのものである。従ってA級戦犯もB級戦犯も我々日本人には関係ない。日本人は第二次世界大戦に負けるまで、戦争に負けることはなかった。したがって大敗したことによる精神的ダメージは非常に大きかった。そのうえ、アメリカは実に巧みな占領政策を実施した。それにより、日本中が「負けた日本は悪い国だ」と思い込むようになり、その占領政策を反日的左翼が教育の場で受け継ぎ、そのため日本の若い世代は自信をなくしてしまったと言える。その日本人を弱体化させる政策を踏襲しているのが菅政権なのである。
そもそも民主党の外交スタイルは市民レベルの権利意識を尊重するあまり、国と言うものを軽視する傾向にある。要するに反権力の市民グループ的感覚を引きずったまま権力の座についてしまっている。なんともこの政権の「国の守り」への意識の希薄さには、暗澹たる気持ちになる。日本人が他国から攻撃を受けたり、日本人が危害にさらされたりしたら、日本は断固闘ってこれを守るということがなければ、国民は安心できないであろう。このままでは遠からず国が駄目になってしまうと言う危機感さえ覚える。
国を守るということの基本は、国のために戦って、そして死んだら靖国神社で会おうを合言葉にして散っていった英霊が眠る靖国に、総理大臣以下全閣僚が公式参拝することである。それが出来てはじめて国のために戦おうと言うことになるのである

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松本幸四郎の弁慶

つい二、三日前の話であるが、テレビで歌舞伎俳優の松本幸四郎氏が、「勧進帳」を土浦市の市民会館で演じて全国、47都道府県での上演を達成したと言うことを報じていた。凄いことで、それも土浦市での達成というのも何かの縁ということで、急に歌舞伎なるものを身近に感じた。
松本幸四郎氏は、16歳で始めて弁慶を演じて以来、足掛け53年を掛けての快挙だそうであり、その感想を述べている。67才の現在もなお、「夢と言うものを持ち続けている」と言い、夢と言うものはただ見るものでなく「夢をかなえよう」といつも思い続けていると言う。また歌舞伎の世界では、役を演じるとは言わず、役を勤めるというそうだ。人を中傷することは誰にも出来るが、人の感動を与えるのは容易でない。感動を与えると言う、誇らしい仕事をさせてもらっているのが俳優である。その責任を果たすためにも、役を勤めなくてはならない。体調が悪い時でも「その日その日の弁慶を生きよう」と暗示に掛けて役になりきり、その瞬間、ただ一回の弁慶を勤めるという。まさに弁慶を演じるにこれ以上の人はいないと思う。
「勧進帳」と言えば奥の深い勇気ある男たちの物語である。富樫は弁慶の侠気を感じたが故に騙されたのではなく、弁慶の忠誠の前に、男として騙されてやったのである。そして弁慶は、そ知らぬ顔で去って行く富樫の後姿に向かって深々と頭を下げる。
現代は、密かな男の勇気と言うものが、無くなってしまった時代である。誰もが自分が如何に賢いかと言うところを、最大限に見せびらかそうとする。
しかし弁慶はそうではない。主人の命を救うことだけが最大の問題である。追う者と追われる者として対立するように見える富樫と弁慶の使命が、男の美学において合致する。そのとき二人は一言も言葉に出さず、お互いの立場を理解する。二人の世界は、極度に言葉少なにありながら、実は人間としての共感において、豊かに一致しているのである。
民主党の政治家にこのような気持ちが少しでもあれば、国益を損なうような事にはならないが、普天間にしろ、日韓併合100年の談話にしろ、国益に反してばかりしているように見えるのは、男の美学と言うものを知らないからなのである。
我々はなんと言われようが、このような男の美学が分かり合える社会を作りたいと強く思う。

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痛切な思い出

今年は終戦から65年がたち、また暑い夏がやってきた。
小学校のころ、教師の引率でよく映画を見に行った。授業の中に組み入れられていたのであろうと思う。ずいぶん昔のことなので、ほとんど何を観たのか覚えていないけれど、強烈に覚えている映画がひとつだけある。「硫黄島の砂」というジョン・ウエイン主演の海兵隊の物語で、日本の硫黄島玉砕をアメリカ側から描いていた映画であった。アメリカ海兵隊が硫黄島に上陸を開始し、日本兵との間で凄まじい銃撃戦が繰り返される。日本兵が艦砲射撃でバタバタと倒れていく場面や、日本兵の骸骨や死体をこれでもかと言うほど見せられた。日本人にとって実に嫌な映画であり、何故こんな映画を我々に見せるのか不思議に思ったのを子供心にも覚えている。そして最後にアメリカ海兵隊が摺鉢山に星条旗を立てて勝利を宣言する。その瞬間なんと一緒に観ていた同級生のほとんどが拍手喝采をしたのである。一瞬、我が耳を疑い、やがて愕然としたのを鮮明に覚えている。
私と同じように沈黙した少数派もいたに違いないが、暗闇の中なのでそれがどのくらい、いたのか分からなかったが、物凄く悲しかったのを覚えている。なぜこんな場面で拍手喝采が出来るのか、私はそのとき、拍手した連中とは距離を置かなければならないと痛感した。小学校低学年のころだから、戦争が終わってからまだ間がなかった筈なのに、すでに戦争の実感を喪失している。正直なところ国を守るために、戦って次々と倒れていく日本兵を観ていささか粛然とした気持ちで、画面を正視できずうなだれざるを得なかった。
ところがわが同級生のほとんどが拍手喝采は衝撃であった。日本軍は悪の軍隊で、正義のアメリカ軍に凝らしめを受けて滅びること、めでたしめでたしと言うことなのかと実に情けなかったのである。

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天下りについて

前に私は天下りは国益にかなうと書いた。けっこう大勢の方々からその通りだと言う賛成の意見が寄せられたが、先日の産経新聞に曽野綾子氏が「天下り」を一概に悪いとする論は、高齢化社会に向かう今後において、誰もがもっと長く働かねばならなくなり、人材もとことん使わねばならなくなる「モッタイナイ」の大原則に反すると書いている。
氏は官僚だって、官庁の定年を迎えたあとも、大学生の息子や娘がいて、もう少し働きたいと思うのは当然で、再就職して老後の生活を成り立たせなければならないのは当たり前である。
「天下り」をする人たちは、やはり長い経験による知識と人脈の蓄積を持つ人が多い。
それを利用しない法はない。
本当に役に立つ人材が、払う金に見合う仕事をしてくれるなら、私企業も歓迎するはずだ。
ただし見合う仕事というのは、前の勤務先との裏取引でないのが条件だ。
正当な人材を長く使うためには、定年以前から、どういう人がどういう独特の考え方や技能を持っているかを発表できる場をそれぞれの官庁で 職員が自由に投稿できる機関紙、大学の研究論文の「紀要」のようなものを作ってあげて、社会は長い年月をかけてヘッドハンテイングの資料にすればいい。
「天下り」先から出る報酬は30万前後が適当で、退職金等は一切なし。通勤用の専用の自動車等もなし。
ただし出勤時間はフレキシブルに決めていい。こうゆう原則を決めてそれを維持すれば、優秀な官僚にボランテア精神で働いてもらうことが出来、国益にかなうと書いている。大賛成である。
優秀な官僚と言う言葉を使ったが、もちろん彼らが全部が優秀なわけではない。
この際、人生世俗的成功ということは何を意味するであろうか、等ということを考えてみた。
子供のころは親の庇護の下で育てられ、順調に学校を出て就職し、結婚して子供を生み育てる過程の中での満ち足りた家族関係それを保障し補うような友人、知人、そして一般社会との関係。
その裏付けとなる物質的条件、そして出来るなら社会的にも人に認められるような地位をつくりたい。
社会的地位の中には、子供の学業、本人の健康、分けても職業分野で成功することも含まれていよう。
これが日本版の現世の幸福であろう。
優秀な官僚たちはその実現者といえるであろうと思う。
従って功成り名遂げて身退くは天の道なりという。
退職金なしの低給与で働くとすれば、本当の意味でのエリートということになると思っている。

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アメリカとイギリスの違い

アメリカとイギリスを同時に旅行した。どちらもユーモアに富んだ国柄であるのを感じるが、少し違いがある。アメリカ人は陽気で親切、イギリス人は陰気で礼儀正しく、いい意味で言えば清楚、悪く言えば冷たそうと言う印象だ。アメリカ人は、ホテル等でドアが閉まりかけたエレベーター等に出っくわすと、閉まろうとするドアを中から手で支えて、急いで乗れと世話を焼いてくる。積極的に話しかけてくる。声もでかいし、食欲も日本人には想像できないほど旺盛である。カメラを向けると必ず二カッと笑う癖がある。面白いしこちらも楽しくなる。
それにひきかえイギリス人は、そうゆう態度は絶対にとらない。我関せずという感じである。不親切かと言うとそうではなく親切である。あるとき、ロンドン市内で道に迷い途方にくれていたら、目指していた広場まで、結構長い時間をかけて案内してくれた。お礼を言うと笑って手を振って行ってしまった。わざとらしくなく、ごく自然にである。赤い服と黒い帽子をかぶって馬に乗るといったイメージである。カメラを向けてみると、口元に微笑を浮かべるだけでアメリカ人に比べると、まったくのシャイである。
そういえば、アメリカの先代ブッシュ大統領の時代に流布されていた、ジョークがあることを思い出した。 ブッシュ大統領にとって、あとを誰にするかは大きな悩みの種であった。そこでメジャー首相を後継者に選んだサッチャー前首相に相談した。サッチャー前首相は「知能テストで決めた」と言う。テストの問題は「貴方の父親の息子で、貴方の兄弟でない人は誰ですか」と言う質問であった。大学卒ではないが、頭のいいメジャー氏は即座に「それは私です」と答えた。
それを聞いたブッシュ大統領は同じ質問をクエール副大統領にしてみた。クエール副大統領は知能の高い代表と言われたキッシンジャー元国務長官に相談した。キッシンジャー氏は、即座に「その答えは私です」と答えた。クエール副大統領は何食わぬ顔で、ブッシュ大統領のところへやってきて、「さっきの問題の答えですが、それはキッシンジャー氏ですよ」と答えた。それを聞いたブッシュ氏は「バカ、何でキッシンジャーだ。答えはメジャーじゃないか」と言ったと言う。
アメリカとイギリスの違いが、なんとなくご理解いただけるであろうか。

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民主党議員の勘違い

民主党の小沢一郎前幹事長の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件で、東京第一検察審査会は、不起訴処分となっていた小沢氏について「不起訴不当」と議決したと新聞各紙が報道した。
一般国民の多くは「起訴相当」と思っている人が大半だろう。しかし、それより到底見逃せない大きな問題は、検察審査会に対して民主党の複数の議員が圧力をかけていると言う事実である。
今年4月に、第五検診が小沢氏に対して「起訴相当」との議決を出した直後、民主党の辻恵副幹事長が検察事務局に審査手続きの説明を求めていたことはまだ記憶に新しい。さらに他の民主党議員から審査制度見直しの動きや審査会への説明要求等も起きている。その上また、今回は審査補助を担当した弁護士を執拗に批判したらしい。担当弁護士が所属する弁護士会関係者は「政界関係者から問い合わせが何回も・・・」と言葉を濁しているようだ。その影響のためか審査補助員になり手がいないと言う状況になっており、審査が遅れる原因になっているとか。
本来、公平であるはずの審査機関に対して、己の思うようにならないと言って圧力をかける政治家がいるとはとんでもない話である。法を犯すことにならないのか大いに疑問を感じる。
そういえば今年の一月末にも、小菅の東京拘置所にいる小沢氏の秘書石川知裕議員に対して、当選同期議員を中心とした33名が署名した激励文を届けたことがあった。石川議員は東京地検特捜部の調べに対して、政治資金収支報告書に故意に虚偽記載したことを認めていたのにである。その罪状を軽視し、無邪気に「待っている」と書く軽い議員らが国会を闊歩している。この程度が民主党議員たちのレベルなのである。
中国の明代の学者、呂新吾は、その著書「伸吟語」のなかで、第一等の人格として「深沈重厚」を挙げている。「聡明才弁は第三等の資質なり」とある。頭が良くて才能があり、弁舌が立つということは、その程度の資質しかないと言う意味である。
民主党の2代続く総理大臣はよく心したらいい。

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大相撲の放送中止

NHKは1953年から続けていたテレビでの本場所中継放送を、11日に初日を迎える名古屋場所の生中継を取りやめると発表した。
国技である大相撲の存続の危機である。視聴者からNHKに寄せられた賭博問題をめぐる意見のうち、68パーセントが中継反対だそうだ。
相撲協会に対する国民の厳しい視線は相当なものがあると感じざるを得ない。
大相撲と言えば、私達日本人の意識の中には、「我、いまだ木鶏たり得ず」と、69連勝を達成した大横綱双葉山が、安芸ノ海に連勝を阻まれたときに言ったと言う話が伝わっている。
また2代の春日野親方の引き際の見事さが生身の人間とは思えない「抑制の美」を物語っているのを思い出す。
先代春日野の栃木山は、大正14年春場所10勝1分で3場所連続9回目の優勝を飾ったあと、あっさり引退した。
2代目春日野親方の栃錦は、師匠を見習うかのように昭和35年初場所14勝1敗で10回目の優勝を果たし、翌春場所、初代若の花との千秋楽全勝対決に敗れるとさっさと引退した。
いずれも鮮やかな引き際だが、2代目春日野親方は「師匠に横綱は追い詰められて辞めるものではない。
桜の花が散るごとく身を引けといわれていた。
若の花との一戦に力尽きて負けたので潮時と思った」と言っている。
精神が完全に充実して保たれているのである。
当時、栃錦は春日野との2枚鑑札で、部屋の師匠でもあった。
弟弟子の栃の海や栃光も3役に昇進してきていた。
部屋の運営に専念しなければならない時期に来ていたということもあった。
さらに名門、春日野を継承したことで、将来幹部として相撲協会の経営に参画することも約束されていた。
栃の海、栃光を横綱、大関にして部屋の繁栄を目指すと共に、蔵前国技館を行き来するたびに目に付いた、両国駅そばの空き地に新国技館をと言う夢を胸に秘めていたそうである。
私たちが日ごろから大相撲に対して感じているものは、相撲界というところは相撲が強いと言うだけではなく、勝れた精神力を鍛えるところであると信じていたのである。
品格を重んじる日本の文化を、誰がなんと言おうと守り続けているところだと思っていたのである。
日本の伝統と文化の象徴である大相撲は 、国民の期待を裏切らないよう一日も早く膿を出し切って立ち直って欲しいものである。

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官僚に対する認識

民主党も自民党もその他の政党も、口を開けば「官僚支配を打破する」と言う。天下りもすべて悪と言う認識だ。 特に民主党は野党時代、官僚の天下りについて国会同意人事を政争の具にしてきた。一昨年は、衆参ねじれ国会の下、日銀総裁に武藤 敏郎・元財務次官を充てる人事案を拒否して、福田政権を激しく揺さぶった。今になって民主党の某幹部は「純粋に武藤さんがいい、悪いと言う前に政治状況があった」とし「武藤さんがはねられたのは今でもおかしいと思っている」と語った。現在、民主党は日本郵政社長に斉藤次郎元大蔵事務次官を起用し、人事院の人事官に江利川毅前厚生労働次官を起用した。まるで手のひらを返したように、官僚を適材適所に配置する必要性を理解したらしい。当たり前の話で形式的、機械的に官僚OBを排除していたら、的確な人事の断行は困難になる。政府の人事は適材適所を基本に進めるのが妥当と言うものだ。 
わが国は過去の事例からみて官僚支配のほうが、政治支配よりもはるかにうまくいく。官僚のほうが勉強しているから専門知識も豊富だし、組織の動かし方も政治家と比べると比較にならないほど、合理的だし、効果的である。1980年代までのわが国の驚異的な経済成長は、護送船団方式などと揶揄されたが官僚が主導したものである。
1990年代になってアメリカが日本の経済がさらに伸びることを恐れ、官僚を排除することを仕掛けてきた。アメリカの作戦にマスコミと自民党が乗ってしまって、官僚システムを弱体化をさせてしまったのが、「失われた10年」とかいわれる日本経済がおかしくなってしまった原因である。以後20年間、わが国のGDPはまったくと言っていいほど増加していない。素人の事業仕分け等いくらやっても、さしたる効果は期待できないし、GDPが伸びなければわが国は経済的にダメージを受け続けることになる。アメリカは今も官僚の復権を警戒し、官僚たたきのための情報操作を仕掛けてきている。これに民主党も自民党もマスコミも依然として乗っかっている。日本の経済も、政治も、政治主導などと言い出してからおかしくなった。日本人は早くこのことに気がつくべきである。日本の官僚は優秀だし、その官僚に十分な力を発揮させる政治が行われることが大事なのである。 天下りの問題がクローズアップされて、すべて官僚が悪いと言うイメージを早く払拭せねばならない。官僚が日本の国を牽引してきたのである。 心すべきであろう。

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